第110章 君が好き

「阿部さんのお名前なら、もちろん覚えています」

有岡里穂はそう言って、社交辞令の微笑みを添えると、キャリーケースの取っ手を引き、立ち去ろうとした。

阿部家の内情は複雑だ。阿部蓮太郎が動かないうちは、たとえ相手が容疑者であっても、危険を悟らせるような素振りは見せられない。

「有岡さん」

まだ数歩も離れていない背後から、再び声が飛んできた。

自分の名前をどうやって知ったのか、里穂は別に不思議とも思わない。阿部家の人間が調べようと思えば、たいていのことは簡単だ。

足を止め、肩越しに振り返る。

「阿部さん、まだ何か?」

阿部明人は眉をわずかに寄せた。どうやら「阿部さん」という呼び方が...

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